加齢とともに一年が過ぎる速さは加速するのではないか、というのがこの頃の持論である。その証拠にこのあいだ買ったスケジュール手帳が気がつくと今年も残り少なく年末に近づいているではないか。店頭にはもうとっくに新しい手帳が並んでいる。
赤ん坊が生まれたとき、おちちをふくませている時、あの濃密な蜜月の時間、あの時だけは私たちを包む時は止まっていた。
私も赤ん坊もただひたすら目の前を生きている、生かすことに必死な生き物だった。
素朴で純粋で単純で動物的で宇宙的であり、本質的な瞬間の連続であった。
あの時は芸能人のSMAPなんて人に聞くまで知らなかった。
世間の人が当たり前に知っているものを私は知らなかった。
おなじ頃に子育て真っ最中の友人Tに「SMAP」って知ってる?と聞くと「知らん」と即返ってきた。それくらい子育ては浦島太郎だった。
その後、母は社会復帰し子どもは人間界にデビューする頃から、加速装置がついたのだ、きっと。
11月1日,2日とも同様、少年野球の試合。
三連休の3日目も(公式戦ではないが)試合が入ったのだが三男は熱を出し欠席。
しかし三連休中三連休とも野球の試合をどんどん入れるってどうよ?と普通の母は思う。
私がもし大の野球好きの親なら連休が全部子どもの野球で埋まってもなんの苦も思わないのだろうか....。けど、毎朝早くに集合して練習して開会式して一日試合して連休が終った後に学校に行くの、子どもは疲れないかなぁ。観戦しているだけの親だって疲れるのに、ましてや本人をいわんや。そんな疑問を夫にぶつけていると連休の三日目の朝に子どもは熱を出す。親の気持ちっていろんな意味で子に伝搬するのだと罪に感じた。
そして11月3日の夜は少年野球の保護者の次期会長・副会長決めの会合に出席。(うちは休んでたからいいけど、三日とも参加したみんなは連休の最後、お疲れの総仕上げではないかと思われ....)
次年度は副会長を3軒出すということになり、その一軒になる....。
あ〜〜来年一年は覚悟だわ....。
その翌年は夫は村の神社の神主があたる(祭の中心であるとともに、一年間、肉食べてはいけないのだ。そして一年間、神主の家が草むしりや清掃など神社のお世話をする。)今年は今年で小学校の地区役員。
結局、毎年何かの役に当たらぬ年はないということか。
少子化時代の「親」や村や家や農業を継いでゆく者ってほんま大変よ。
一年間が奉仕奉仕....。
時間が早く過ぎるわけだわさ。
連休の二日間で図書館で借りた角田光代の「八日目の蝉」を読了。
空いた時間に読むも加速。(速読というよりも単に結末が知りたくて急いで読んでいるだけ)いい話だった。
小説って、物語っていいなぁと思う。
芥川賞作家の芥川受賞小説を読むと読後感はきまって「ふうん。」という感じになるが、直木賞作家の物語はやっぱり読み応えある。(もちろん本を読む時にこの人は賞をとったかとらないかなど先入観は持たない。)
長い間、物語を書き続ける方って、ある種、自分の内部を切り刻んで提出する感じがあるんじゃないかしら。それは本当に自身をおいつめるたいへんな精神労働だと思う(小説家は画家よりも役者よりも平均寿命が短いらしい。頷ける。)
角田光代さんの「対岸の彼女」もよかったけど、私はこの「八日目の蝉」がいい。
これを読んで私は「人生は八日目から」なんて言葉が浮かんで来た。
7年間土の中にいて地上で七日間の命の蝉は八日目を知らない。
だけどたった一匹、八日目に生き残っているかもしれない。
知らなくてもいいことや出会いたくないことにたくさん出会うかもしれないけど、八日目はわるいことばかりではにないかもしれない。
そんなメッセージがちりばめられていた。
人生の中でも知りたくなかった秘密や、知らなくてもいいことや、「なんで?なんで私だったの?」という事件がいくらでもある。
知ってしまった、パンドラの箱を開けてしまった、実は人生の醍醐味はそこからなのかもしれない。
「八日目の蝉」は、もうなに失うものはないほどに失い尽くした時に、あとは絶望をなぞるだけの人生のように思えても、それでもなおかつラーメンの汁を最後まですすってしまうような食欲、おいしいと感じる力、生きる力、赦しなのかなんなのかわからないが、理不尽や不条理をそのまま背負い込むしかない神々しい達観の境地との出会い、きらきらと静かに小豆島を浮かべる瀬戸内海の静かな鏡(波)、そんな光景を、私に与えてくれた。
いい物語だった。
3日の日はけっこうミラクルで、家の用事があれこれ進んで気持ちよかった。
洗面所のフローリングの床には市販の正方形のカーペットを購入して夫に組み合わせてきれいに敷き詰めてもらい、プロにリフォームを頼んだように美しくなったし、応接間に秋冬用のカーペットも敷いた。三男の熱による野球の欠席は私にとってプレゼントだった。
午後に2年ほど前にいったん退会した生徒さんが我が家に訪ねて来られ是非また復会したいとのこと。お祖母様の三回忌のお供養にされたらしい「歎異抄」を解説した本を私にもプレゼントしてくださった。素敵な手紙も添えられていた。「歎異抄」は前から一度読みたいと思って手を出さずにいたままの本だったので贈っていただいて本当に嬉しい。お返しに紀州の甘い美味しい蜜柑をおすそわけする。小さいのや大きいのごちゃまぜ。
11月4日(火)
午前中 マイ教室
午後 火曜の教室はJR駅の近くが会場で、それで突発的に教室の後に大阪道場に行ってしまう。津田先生の「紋トレーニング」というものがどんなものか気になっていて、2日に開催された特別講座には野球で参加できなかったので、思いつきのまま直感的に「今からなら行ける!今、今日行こう!」と行ってしまう。教室で指導していたその格好のままで....。(フィットネス・ウエアというか、ほとんどジャージに近いもので...^^;)
近江八幡から新大阪までは1時間くらいで行けるから有り難い。
内容は....行ってよかった!
11月5日(水)
午前と夜にレッスン。
あいまに昔読んだすてきな絵本「ぼくを探しに」を無性に再読したくて図書館で借りる。なんと訳者は倉橋由美子さんだったとは!
というのも数日前に借りた「(老人のための)残酷童話」という倉橋由美子さんの著作を借りたところだったからだ。
「子を欲しがる老女」という短編を読み始めたところで、最初はこんなかんじ。
あるところに80歳に近づいたおばあさんが一人で暮らしていました。
長く一人暮らしをしていたのは、夫と死に別れたからでもなく、子たちと別居していたからでもありません。誰とも結婚せず、子どもを作らなかったからでした。しかし子どもを作らなかったのは結婚しなかったからではありませんでした。結婚はしなくても子を作る女性は大勢いますが、中略
では何をして生きていたかといえば、70歳を迎えるまで、ある大学の女性社会学の教授として研究と教育に明け暮れる生活を送っていたのでした。
ここまで読んだだけで、わたしはちょっとこわくなった。
おいおいこれって誰のことよ、なんて。(^^;)
確か上野千鶴子さんは自著「差異の政治学」で
作家の倉橋由美子はかって「なぜ書くのですか?」と問いを受けて、「注文があるからです」と答えてひんしゅくを買ったことがある。「文学」の書き手にはなにかしから内面的・実存的な動機がなくてはならない、という命題に彼女が応えなかったからなのだが、もちろん、この端倪すべからざる書き手は、このあまりにも通俗的な問いに逆説的に世俗的な答えを与えることで、たとえ読者がいなくても書き続けるという貧乏くさい「文学」信仰を嗤ったのである。
と倉橋さんを褒めているんだけどねぇ...。
差異の政治学が出たのは2002年で「老人のための残酷童話」が出たのは2003年なんだけど....。
なぁんて勝手にいろいろ想像するのはやめようっと....(^-^)
さて、八日目なのかまだまだ七日にも満たないのか我が人生、何合目まできているのかわからないが(先頃、引退したQちゃんは、お父様の言によると人生でいうと高橋尚子はまだ午前11時くらいのとこらしい。親が子に送るいいエールですね♪)夜のレッスンに向けてがんばっていきまっしょい。(その前に夕飯つくらなにゃ〜)
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