次男の中学校の文化祭。
各クラス発表の劇の鑑賞と親子合唱に参加。
次男は大道具係担当で、クラスのみんなで背景を描いたようだが、一年生にしてはなかなかの出来だった。劇の作風にあった心象風景を描いた抽象画で、非常にシンプルながら構図や色やタッチが素晴らしく、そのセンスに私は驚いた。考えてみたら抽象画をバックにしていたのは長男の中学時代でも、どの学年もやっていなかった。
次男のクラスは一年生ながら特別に奨励賞を受賞する。最優秀賞と優秀賞は三年生のクラスが受賞。
10月5日(日)
町内の体育協議会の委員さんに頼まれていた毎年恒例の地区運動会に参加。
毎週土日、なんやかんやと地域や学校行事が重なりいそがしい。
来週の土曜は三男の少年野球のお茶当番と次期役員決めだし...
(合気道にもなかなか行けない....。)
朝からどんより曇空で地区の誰もが今日は中止かと思ったが、小雨の中、運動会は決行される。
午後 まだまだ小雨はやみそうにない。今日はずっとこんな天候である。担当のものをひととおり出尽くしたら、ダンナや子ども達の出場する大なわとびは見ずに先に帰宅。(雨に濡れて寒いから....すまん^^; だけど地区で一位になったらしい)
家に帰って新聞を広げると、県内の豊郷町にある豊郷小学校の旧校舎を描くコンクールの写生会が今日開催されていることを知る。
宣教師であり建築家であった故ウィリアム・メリル・ヴォーリズさんの設計による(滋賀の人はたいてい愛着をもってヴォーリスさんと呼ぶ)豊郷小学校の校舎の取り壊し問題は、数年前、マスメディアのおかげで全国的に注目された問題であるが、私はまだ一度もその由緒ある校舎を拝見した事がなかった。
まだメディアにとりあげられる前に、滋賀のあちこちに残る日本の原風景を描く素晴らしい画家、福山聖子さんに最初にこの問題をお知らせいただき、いろいろ校舎内の資料写真をお送りくださり拝見して、このような文化価値の高い建物を壊してはいけない!と私も強く共感したものだった。
当時の豊郷小学校解体問題に関しては詳しくはコチラのURLを参考にご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/豊郷町立豊郷小学校
http://www.geocities.jp/rekisi_neko/toyosato.html
結局、旧校舎は教育現場として再生はされずに同敷地内に新しい校舎が作られた。そしてなんとか住民運動のおかげで、解体はされずにすんだ。本当に旧校舎がとりあえず残されてよかった。保存運動のみなさん、ありがとうございます。
このスケッチ会は校舎を見学できるまたとないチャンスだ。
運動会を先に帰って来てラッキーだ。
とりあえずスケッチの準備をしてインターネットで地図を確認して急いで車を走らせた。
まだスケッチ会はされていて校舎内を見学できることが最高に嬉しかった。
実際に中を拝見しての感想は、昭和12年に竣工され平成16年以降は、学校教育施設として活用されていなかったので、また当時、前○○町長の解体強行によって業者に窓ガラスを割られるなどの経過を経てあちこち老朽化に拍車がかかっているのは否めないが、旧い建物とはいえ、まだまだ美しくヴォーリズの息吹が残っているということである。住民や有志の方による保存運動のおかげで、また新しく選出された町長の政策のおかげで、なんとか無事にこの校舎が今日まで遺されて来たことに深く感謝いたします。
階段の木の手すりにはウサギとカメのブロンズ像
児童たちに長年可愛がられてきたのだろう。
黒光りしている。
二匹のカメが歩んでいる。
寝てしまったウサギさんも....
最上階ではカメさんは振り向いている。
ウサギさんはまだなのかな....?
これは教育施設というよりも、もはや人を育てる暖かい家のような感覚である。
(そういえば私の知り合いの保育園長も新しい園舍を作る時に業者に「私は施設を作りたいのではなく、園児を預かる家を作りたいのです。」と伝えられたそうで共感した。出来上がった新園舍はまさに木で出来た暖かいおうちだった。)
このようなすばらしい校舎を学び舎として過ごした児童達は、どれほど幸せな子ども時代だったことかろうと思う。この体内にどれほど五感を育てられたことだろうと。
敬愛するルドルフ・シュタイナーは「建築とは身体だ」と言い遺されているが、私も全く同感だ。(身体の部分は、体内あるいは胎内と訳してもよいのではないだろうか。)
このような公立小学校が、地方の、田園に囲まれた、いわゆる田舎の片隅にあったのだという事実がたまらない。
というのも土地柄なのだと思う。
滋賀は近江商人発祥の地として有名であり、この豊郷小学校のすぐ近くに丸紅/伊藤忠商事の伊藤忠兵衛の生家がある。
まぁ、まずはとにかく校舎内をご覧下さい。
二階建ての講堂。
私は一時期、神戸女学院大学へ聴講によせていただいていた。
私が住むお隣の市がヴォーリズさんゆかりの近江八幡であり、市内に点在しているのでヴォーリズ建築は子どもの頃から知っている。そして滋賀から遠く離れた神戸女学院もヴォーリズ建築である事を知り、とても親近感が湧き、なんとなくシンクロを感じて感動したものだった。
神戸女学院は日本一のキャンパスといわれるだけあって素晴らしい。
今、豊郷小学校の講堂を拝見して、それは神戸女学院の、パイプオルガンがあるキリストに殉じる、あの素晴らしい講堂にはさすがに劣るが、確かにヴォーリス建築であること、神戸女学院の講堂に漂っているのと同じ空気が此処にあるのを感じた。
ちなみにこの豊郷小学校旧校舎は、丸紅に入店し大実業家となった古川鉄治郎氏(豊郷町出身)が、私財をなげうって、昭和12年、ウィリアム・メリル・ヴォーリズ氏に設計を依頼し建設されたものだ。その在り方は、近江商人の家訓のひとつ「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の「三方よし」の商売哲学が見事に顕現されている。
「狭くて老朽化の著しい母校を豊郷村の中央に移築して、その教育設備を整備し、これによって郷土の教育の振興に貢献するとともに、郷土の人々の百年の平和を図ろうとしている。私が願う事は、この礎上により多くの才能と志のあるすぐれた人たちが続々と世に出て、国家の進歩発展に寄与するようになっていただくことである。」(@古川鉄治郎氏)
イマドキのIT長者のような金にあかして企業買収する際の「自分さえよければいい」態度、「金で手に入らぬものはない」と恥も外聞もなく放言するポッと出の金持ちとは、実業家としての信念や哲学のステージの高さが、はなから違うではないか。
ステージ中央からのぞむ。
床が坂になっている。(緩勾配に張られた板張りの床)
私の小さな頃、サラリーマンの父親の転勤が重なったせいで、東京の小学校(附属の幼稚園舍)や、名古屋の小学校や、父の地元である滋賀の小学校を体験しているが、こんな立派な講堂のある小学校はどこにもなかった。
さて、もう少し、あちこち見てみましょう。
なんていったって平成15年まで、つまり5年前のつい最近までれっきと現役の小学校として使われていたのですから。その息吹を感じてみたいのです。
廊下。
木枠の教室窓の重厚な造りにも注目!
各クラスの学級名(担任の先生だろう)が書いてある。
校長室。
職員室。
保健室。
こういった札がいつからなのか分らないが、児童に任せて作られているのがいい。先生と児童の信頼感や絆、ゆるやかでおおらかな校風がしのばれる。
保健室の中を覗くと...
ベッドが三台置いてあったのだと分る。
同じ県内の市のど真ん中にある公立小学校に通ったがここのスペースの5分の1くらいでベッドは一台だったものさ。
それにしてもシャワースペースまであるのには驚きだ。
保健室だけピンク色のカーテンがかけられているのもなんとも不思議な感覚....
独特の空気を醸し出している。
こちらは三階にある来賓室
学習室
その隣の音楽室
立派な講堂を持つのに、さらに音楽室にまで小舞台があるとは....!
個人的には舞台をふちどる3重枠の意匠に注目したい。
西洋建築といっても単なる合理主義だけでなく、さすがヴォーリズさんのコストや手間を度外視の破格のサービス精神を感じ取って欲しい。
そこには教育を授ける者、享受する者への祝福が感じられるではないか。
旧のヴォーリズ記念病院も同様にそうでしたが、その建築はそこで過ごす人への愛と癒しに満ち満ちているのです。さすがキリスト者の仕事!だと私は感じずにおれないのです。
(ヴォーリズ記念病院は今はすでに改築で新しくなっているが、私は8歳の時にそこに入院している方をお見舞いに訪ねた記憶が在り、病室ひとつひとつにあつらわれていた素敵な両開きの木枠の出窓は少女漫画にでてくる西洋建築の夢の世界そのもので感動したのを覚えている。)
こちらは家庭科室跡。
なぜか内部は一段高い床に青いカーペットが敷き詰められている。
その広さたるや、20人ほどで合気道やヨガのお稽古ができそうなくらいでした。
渡り廊下を渡り図書館入り口の手前の部屋に
なにゆえたくさんの火鉢?
そしてこちらが必見の図書室。
伊藤忠によって豊郷小学校に寄贈された報徳記念図書館である。
建築中央を吹き抜け空間とする構造、アールデコのデザインを効果的に活用した意匠、特製照明器具を備えた質の高い建築。
(ご当地の当時の小学校ではありえない水洗トイレ、教室にはスチーム暖房、内線電話などがあったそうだ)さすが「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」と称されただけある。
中央には貸し出しのカウンターが。
アールデコ意匠の手すり
図書館の書架にあたる部屋だろうか。
木製の螺旋階段。
裏方の場でさえ気を抜かないお洒落でモダンな造り。
図書館の2階に置いてあった木製のパチンコ台。
この時代にまで捨てずにおかれた遊び心にワクワクする反面、ぼんやりしていると学校が骨董品かお洒落で好奇心に満ちた廃墟スポットになってしまいやしないかと心配する。
校庭を挟んで図書館の反対側に講堂がある。
図書館から講堂をのぞむと、やはり神戸女学院の文学館から中庭をのぞんだときと同じ既視感があるのだ。
神戸女学院と此処との決定的な違いは、此処はあきらかに誰かが急ブレーキ、急ハンドルを切るように早急に手をいれないと、このままどんどんと廃墟、廃校化することだ。
その気配は確実に強まっている。
たとえば校内のあちこちにある、これら解体を強行しかけた前○○町長によるつめ痕。
(あの時は住民運動の方々が体を張って阻止されたのだ)
カメをとられた痕
こちらももぎとられかけられている。それでもカメさんよく踏ん張った。
アップ
ウサギもとられた(カエセヨ!カエセ!)
ほかのウサギさんも、おちおち寝ていられやしまへんで。
このウサギとカメが、この校舎で、小学校の日々を送る児童や教師たちにどれほど愛されてきたか、大人になってもそういうものを嗅ぎ取る感性をなくしちゃいけません。
こちらははぎ取られた壁。
決して保存団体に確かめたワケではないが、このように置いてあるということは、意図的に(町長に指示された建築解体業者によって)壁がはがされ、それに抵抗した住民運動の方々によって、校舎の再生保存のため保管されていると私は勝手に読んだ。
また一方で、ヴォーリズ建築の校舎の文化価値を認め再生保存をうたう部外者の私たちが、自分たちの懐古趣味を、毎日そこで過ごす地元の現場の子ども達に押し付けては勿論いけない。
校舎の老朽化は確かで、木造の床を踏むとき、ところどころのきしみ音は確かに不安を呼ぶ。なによりもそこで学ぶ児童の安全性や現代を生きる子ども達に当然必要な快適な環境を優先せねばならない。
そして実際、解体問題の渦中のとき、ここに通う児童の保護者も、町の人々も、校舎新築・旧校舎解体派と再生保存派と大きく二分されたという。
前○○町長は、建築業者との利権が強く絡んでいたし、このヴォーリズ建築を巡る校舎の問題は、純粋に校舎の価値を認める児童や保護者や、あるいは職場や学び舎の近代化をのぞむ現場の教師や児童など当事者達に、部外者の私たちの想像に及ばないほど、いろんな影響やつめ痕を遺したことだろう....
校舎は、結局、同敷地内に新築され、とりあえず問題は一段落し、児童たちも近代的な快適な校舎で今は安心して学んでいるのだろう。それはそれでよかったのかもしれない。
一概に「どうするのが正しい」とは言いきれない。
旧校舎より新校舎をのぞむ。
現在の豊郷町長は伊藤定勉氏。
(私の勝手な憶測だが、苗字からして伊藤忠兵衛さんの子孫などゆかりの方なのではないろうか?)
スケッチ会の受付窓口でいただた資料によると、有り難いことにこの新町長になってから、この旧校舎はどうやら社会教育・福祉施設として再び活用する運びとなったそうだ。
合併もしていないなにぶん小さな町の厳しい財政で、これほどの建築物を再生させるには障壁が高いことは想像に易い。
どこかのNPOにも丸投げせず、町が運営すると英断をくだしことは高い評価に値するのではないだろうか。
今、豊郷町では豊郷小学校旧校舎管理寄付金の申し込み受付をしている。
寄付をした場合、ふるさと納税制度で住民税、所得税の控除対象にもなるようだ。一口5千円から。
豊郷小学校旧校舎保存再生に興味のある方は、是非、豊郷町総務企画課にお問い合わせください。(と勝手に宣伝しておこう)

